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 001 旅エッセイ

      瀬戸内しまなみ海道
       大島で出逢った“守り伝える心”

                                          2007/06/26 公開

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 ==== タイトル ====


  瀬戸内しまなみ海道
   大島で出逢った“守り伝える心”


   ――“お接待の心”と“子供を想う心”がつなぐ
       島四国200年記念とおやじサミット

                       


 ==== あらまし ====

    瀬戸内海に浮かぶ数ある島のひとつ、しまなみ海道が通る最南の島、大島。
    愛媛県今治市にあたる緑豊かなこの島には、「島四国」と呼ばれる霊場が存在する。全
   国的に知られている「四国八十八ヶ所」とは別に、島内で独自に開創された八十八ヶ所霊
   場である。1810年に真言宗の総本山、仁和寺から「准四国八十八ヶ所霊場」の称号が与
   えられたが、その開創は1807年にまでさかのぼる。つまり、2007年の今年、島四国はちょ
   うど開創200周年を迎えることとなる。
    親から子へ、子から孫へ、大島で200年ものあいだ受け継がれている、お遍路さんを受け
   入れ、奉仕する心――お接待。
    それ以上にながく、絶えることなく注ぎ継がれる普遍の愛、親が子供を想う心。
    このふたつを“守り伝える”ために島の人々が立ち上がり、2007年5月5日、あるイベントが
   開催された。
    イベントを追ううち、かつてこの島を捨てた男性と、島に残った男性に出逢う。
    同じ島の出身であること以外、年齢も境遇も違うふたりの男性に共通するのは、
   「人とのつながりを大事にしなさい。縁を大切にしなさい」という素朴なメッセージ。
    このイベントと島四国には、ふたりの男性を軸に、お接待の心を継ぐ島人たちと、子供たち
   の未来を考える識者から、いまの時代を生きる人たちへ贈るメッセージが託されていた。







 ==== 目 次 ====

  序章 ~愛媛県今治市・大島への道  JUMP


  Ⅰ 大島 ~ 島四国と島人の心――お接待  JUMP


  Ⅱ おやじサミット

    1.島人の想いとおやじサミット主催者の想い ~サミット開催経緯  JUMP

    2.『おやじサミットin四国』

        (1) ミニ講演とドキュメンタリー短編映画  JUMP

        (2) パネル・ディスカッション  JUMP

        (3) エンディング  JUMP


  Ⅲ 星海幸の懐考 ~取材を終えて  JUMP







 ==== 本文 ====

【序章 ~愛媛県今治市・大島への道】

    深い夕闇に包まれた大島の広場、バラ園。今にも泣き出しそうな雨雲が垂れている。
    周囲は紺色から、もっと深い闇の色に変わってゆくというのに、この広場だけはやわら
   かく、暖かな雰囲気に包まれていた。広場には数え切れないほどのロウソクが立ち並び、
   ほのかな光が放たれている。「萬灯会」というのだから、その数は一万個はあるのだろう。
    今日のイベントのために入念な準備にいそしんできた島人、島四国巡拝に来たお遍路
   さん、さまざまな人の想いを、揺らめく無数の小さな炎が見つめている。
    特設ステージからは、力強い太鼓囃子が聞こえる。隣の人と話をするにも、声を張り上
   げなければ会話にならない。
   「どうか雨が降りませんように」
    最後のイベントが終わるまでは、なんとか雨がもって欲しい、という思いは、関係者たち
   共通の願いだ。
    この瞬間も含め、今日一日だけで幾たび、“大島に来てよかった”と私は思ったことだろう。
    見えない力に引き寄せられるようにして出逢った人たち。この不思議な一日の出来事を
   揺れるロウソクの灯りを見つめながら、私は思い返していた。



    ことのはじまりは、5月1日の夜、小雨のぱらつく都内。
    ゴールデンウィーク合間の平日であったが、サラリーマンの街としてお馴染みの新橋は、
   傘を手にしたスーツ姿であふれていた。
    映画監督の小田大河氏とは、彼が映画『太陽(てぃだ)』の製作中に、沖縄県の民謡酒場
   で会って以来だと思う。かれこれ1年ほど経つのかもしれない。
    魚や焼酎を看板メニューとする新橋のとある居酒屋は、夜7時を過ぎたころには、早くも
   満席状態だ。店内は、スーツ姿の男性しか見当たらない。私の好物の刺身をはじめ、酒
   のアテが次々と運ばれ、テーブル狭しと並んでいる。ひさびさの再会に話も弾む。互いの
   近況を語りながら、二人の酒もいいペースで進んでいた。

    ひとしきり落ち着いてきたところで、焼酎のグラスを手に、おもむろに彼が話し始めた。
   「今度の土曜日、僕の田舎で大きなイベントが企画されているんだ。島の後輩から声が掛
   かり、僕も手伝うことになった。
    この企画は、いじめや不登校といった問題を抱えた子供たちを、どうしたら救えるのか、
   子供たちの未来について、みんなで話し合う。そんなサミットなんだ」
    好きな焼酎をあおりながらも、私の耳は彼の言葉を逃すまいとしていた。
   「ちょっとこれを見て」と、彼は鞄からなにやら資料を取り出した。 



      『おやじの会・四国サミット… 進行台本』

          島四国200年記念
          おやじの会
           不登校
           いじめ
           いじめが原因で自殺した中学生の遺書
           子どもたちの未来



    私は台本らしき資料に目を落とした。
    イベントは5月5日、子供の日。愛媛県今治市の瀬戸内海に浮かぶ生まれ故郷の大島で
   開催。司会を友人のTBSアナウンサーが務める。各地から識者を招き、地元の人も交えて、
   子供たちの未来についてパネルディスカッションが行われる。その資料に殴り書きをしな
   がら、大まかだが具体的に、彼は説明をしてくれた。

    その姿には、生まれ故郷が主催する初の大イベントに対して、“地元の役に立ちたい”
   という強い意気込みを感じた。また、それは単に地元を意識しているだけではなく、日ご
   ろから、人間の“生きる力”をテーマとした作品を世に送り出す彼だからかもしれない。


    四国の数ある島のひとつ、大島。そこで、都会の教育者も、地元の人も、それぞれが経
   験と知恵を持ち寄り、子供たちの未来について語り合う本格的なサミットを開催する。
    この話を聞いて、問題はそこまで緊迫しているのか、という懸念と共に、島人たちの真
   摯な取り組みに、いささかの感奮を私は覚えた。

    時代、時代により、さまざまな問題が起こっている世の中で、“教育”も普遍的テーマ
   のひとつである。教育問題と言っても、ひとことでは片付かない。いじめ、不登校、日の
   丸問題、受験戦争・・・。その問題点は多岐にわたる。
    身近に子供がいるわけではないが、人に話したくないような子供時代を過ごした私は、
   さまざまな問題を抱えて悩み苦しんでいる人、とくに、いじめや不登校、ひきこもり、家
   族間の問題をはじめ、逃げ場のない子供たちのことが、内心、気懸かりであった。
    ゆえに、このサミットのテーマは、胸に深く突き刺さった。
    サミットがどうなるのか知りたい、初めての大きな試みに挑戦するこの島のことを、もっ
   と多くの人に知ってもらいたい、そんな想いが沸き起こる。


    酒の力も手伝って、私の口をついて出た言葉は、
   「うまく書けるかはわからないけど、このことを書いてみたい。書かせて下さい」
    予想だにもしない申し出に、彼は少し戸惑いの色を見せた。
    手にした焼酎を一口飲んで、うつむき加減でなにやら考えながら、彼はうなづいた。
   「文章にするのは難しいだろう。けれども、やってみたらいい」
    次に、思いがけない言葉を付け加えた。
   「じゃあ、島に来たら。島に来て、実際に自分の目で見た方がいい」
    突然の大島行きの話に驚きながらも、私は今週のスケジュールを考え、サミットの台本を
   見つめていた。





【Ⅰ.大島 ~島四国と島人の心――お接待】

    瀬戸内海に浮かぶ島のいくつかを経て、本州は広島県尾道市から、四国の愛媛県今治市
   に架かる海道「瀬戸内しまなみ海道」。その数ある島のひとつである緑豊かな大島は、海道
   の最南に位置する。2005年の合併により人口18万人を擁する県下第二の都市、今治市の一
   地区となった島だが、人口は1万人足らずだ。

    5月5日、愛媛県今治市にある今治港、午前7時半。
    瀬戸内海に面した四国の今治港に立つと、左手には、日本三大急潮の来島海峡にかかる
   世界初三連吊橋の来島海峡大橋が見える。しかし、大橋も対岸に見える大島も、天候がい
   まひとつのため、霞んで見えた。初めて目にする大島の景色は、灰色の雲に包まれ、まるで
   水墨画のようだ。

    降って湧いたような大島行きの話のため、いろいろとあったが、フットワークの軽さが売りの
   ひとつである私は、対岸にぼんやり見える大島に向かうフェリーに乗っていた。
    今治と大島は、しまなみ海道の大橋で往来できるが、30分に1本の割合で出航しているフェ
   リーを利用する人は、意外にも多かった。客席は、作業着の男性たち、学生、観光らしきグルー
   プのほか、白装束のお遍路さんが半数近くを占めていた。

    今治港から30分足らず、あっと言う間に大島の下田水港に着いた。朝8時前だというのに、
   すでに港の周囲は、前の便で到着しているお遍路さんで賑わっている。
    その中には、数日前に新橋の居酒屋で約束を交わしたとおり、いまは都内に居を構える
   大島出身の小田大河氏の姿があった。
   「会場入りするまで少し時間があるから、ちょっと島を案内しよう」
    友人から借りたというクルマが彼の運転で滑り出した。


   「大島、初めてなんだろう? 島四国のことわかった?」
   「昨夜、今治の方から、四国八十八ヶ所のミニチュア版だと伺いました」
    山道に差し掛かったのか、クルマは新緑の急坂をぐんぐん上っている。
    道の脇で、おじさんが3人、ホウキで落葉やらを集めて清掃をしている。窓を開け、
   「お疲れさまです」と彼が声を掛ける。

   「こうして道やお堂を掃除したり、お遍路さんを案内、誘導する。これも“お接待”のひとつだよ」
   彼の説明を聞きながら、私は初めて訪れた大島の流れる風景を見つめていた。
    道はよく整備されていているが、クルマ通りはほとんどない。
    快調に走るクルマの沿道に、「へんろみち」と書かれた見落としそうなくらい小さな石碑が、
   ぽつりぽつりと草の陰に見え隠れして建っているのが目をひいた。
    小さな石碑は、島のあちらこちらに“道しるべ”としてひっそりと建てられている。
   200年前から、この道しるべが、島の八十八ヶ所へとお遍路さんを案内していたことを後に知
   らされた。

    しばらくクルマを走らせていると、上り坂カーブ途中のあるお堂を通り掛かった。
    道路から、ちょっと入ったところに、かわいいお堂が見える。お堂への入口には、『島四国
   開創200年記念』と書かれた紫色のノボリがはためいている。
    思わず、「降りて近くで見てみたい」と買ったばかりのデジカメを手に、私はクルマを降りた。

    左手は草木が生い茂る土手。右手は畑で、ミカンだかハッサクだかの木が何本も植わっ
   ている。畑の前には、その木から採れたのであろうか、黄色い果実がいくつかのカゴにたっ
   ぷりと入っている。どこにでもありそうな、田舎の長閑な風景だ。
    正面のお堂の前には、日よけだか雨よけにブルーシートが張ってあり、その下でお茶を
   準備しているエプロン姿のおばさんがいる。
    知らない人にカメラを向けるのは失礼かと思い、はじめは遠慮していたが、島出身の彼
   がおばさんたちに声を掛け、大丈夫だから、と合図をくれたので、そこで初めてシャッター
   を切った。

    小さなお堂の前には、白装束のお遍路姿の男性が目を閉じて、無心に般若心経を唱えて
   いる。お堂の中には、お遍路さんに手渡すと思われるお菓子やパンを前に、おばさんやおじ
   さんが鎮座していて、般若心経を唱える男性をじっと見守っている。私も束の間、初めて目に
   する様子を眺めていた。

    足を踏み入れたときは、“どこにでもありそうな、田舎の長閑な風景”と思っていたその光景
   は、やがて、“深い信仰が根付く癒しの島の情景”とかわっていった。そこはかとなく厳かな、
   それでいて心休まる、居心地のよい空気をやわらかに感じた。

    シャッターを数回切ったところで、クルマに戻ろうと歩き始めると、ブルーシートの下にいたお
   ばさんが、小さなジュースを2本手に、はにかんだ笑顔で私に話しかけた。
   「はい。これ飲んで。あそこにあるミカンも持って行ってね」
   「え? いいんですか?」
    お遍路さんでもなければ、ましてやお参りもせず、うろうろとシャッターを切っていた私に?
    頂いてよいものかと戸惑っていると、少し先を歩く彼が「もらったらいいよ」と笑顔で言うので、
   お礼を述べてありがたく頂戴した。


    クルマが山を下って少し走ると、瀬戸内の海があらわれ、とても大きな船が見えてきた。
   陸に揚げられている大きなフェリーを横目に、「ここは造船でも有名なんだよ」と説明を加
   える彼の運転で、クルマはスムーズに道を駆ける。
    ちょうど旧暦の3月19日にあたる今日から3日間、お遍路市の縁日が始まる。この間、島
   の人たちが総出でお接待をすること。昔は宿が足らないと、ふつうの民家までも、お遍路
   さんを泊めたりしたこと。島四国やお接待のことを彼は説明してくれた。

    渋滞とは無縁の島をちょっと走らせると、入口に白や紫のノボリをひらめかしたお堂が
   次々と現れた。
    曇り空の大島は、とにかくお遍路さんだらけだ。杖を手に歩いているお遍路さんも多い。
   マイクロバスでまわるお遍路グループもいくつもある。
    どのお堂の前にも、たくさんのお遍路さんに混じって誘導するおじさんたちの姿があり、
   傍にはテントの下でお茶を用意するおばさんたちの姿が必ずあった。
    いくつかのお堂と、たくさんのお遍路さん、そしてお接待をする島の人々の姿。日ごろ
   見ることのない、不思議な“人とのふれあい”の情景に、いつしか私は胸が熱くなった。

    島の人々が、各地から訪れるお遍路さんが無事に巡拝できるよう、お堂をはじめ、道の
   清掃から、道案内、誘導を行う。また、疲れたお遍路さんのために、お茶や地元で採れた
   果物などの準備もしている。もちろん、これらはすべて島の人々の無償の好意に他ならな
   い。
    まったくの見ず知らずの島外の人々を暖かく迎え入れるもてなしの心――お接待。 
    この情景、この心は、島に来て、実際に自分の目で見て感じないとわからないことだ。
   無理をしてでも、ここに来てよかった、と心の底から思った。
    そして、なにより驚くべきことは、この心が200年もの間、島の人たちの好意と努力で
   受け継がれている、ということだった。


    晴れていれば、眼下に瀬戸内の素晴らしい景色が見渡せる亀老山展望公園。
    灰色の雲の切れ間から見える海と島影を見つめる彼は、「こりゃあ夕方には雨が降る
   だろうなぁ」とつぶやいた。その言い草は、都内で暮らしているにもかかわらず、長年この
   島で暮らしてきた島人を彷彿させた。
    流れる車窓から「へんろみち」の石碑を目で追っているうちに、クルマはおやじサミッ
   トの会場となる吉海町の学習交流会館に差し掛かっていた。 





【Ⅱ.おやじサミット】

 1.島人の想いとおやじサミット主催者の想い ~サミット開催経緯

    会場の学習交流会館は、まだできて新しい感じがする。
   「トイレはどこですか?」と、ときおり、白装束のお遍路さんの姿を見かける。どうやら、
   休憩所として、開放しているらしかった。

    サミットのスタッフは、男性が圧倒的な数を占めていた。午前9時、ミーティングルー
   ムには、おじさんはもとより、青年、学生風の若者と、幅広い年齢層が集まっていた。
   「おやじの会と言うのだから、集まるのは“おじさん”ばかりだろう」とてっきり思って
   いた私は、その光景にいささか驚いた。
    リハーサルが始まると、先ほどまで島を案内してくれていた小田さんも含め、スタッフ
   全員が慌しく動き回っている。合間を縫って、島の人に伺った意見を幾つかここで紹介
   する。


     ≪島人の意見≫

       ・廃校予定となっている大島高校をなんとかして存続させたい。
       ・子供を持たない地域の人にも、道に出て子供の登下校を見守るなどして参加し
        て欲しい。
       ・うわべだけでなく、子供を本気で叱って抱きしめることが大切。
       ・いじめや教育問題は現場をみることが大事なんです。
       ・過保護にし過ぎると子供は育たない。苦労した子供は人を大切にできる。
       ・日ごろから子供と関わり、信頼関係を築き、子供の変わり目、信号を察知して
        救いの手を差し伸べることが必要。
       ・「殴られたら痛い」と痛さを知らせることも必要で、愛があって子供を殴るの
        は子育ての一環。
       ・ゆとり教育のしわよせが高校に行っていると感じるが、島の子供は生きる力が
        強いと思う。

    子供を取り巻く環境・教育について、取材をさせて頂いた島人のとても大切に、丁寧に
   話をする姿から、親が子を愛おしく想う気持ちはどこに行っても変わらない、と改めて感
   じた。

 
    来た時点では殺風景であった会場の入口は、子供たちが墨で書いた似顔絵が飾られ、
   おやじの会が提唱する「8時と3時にこどもの登下校を見守る83運動」のポスターが貼られ、
   賑やかな様子を呈していった。子供の日にちなんだ橙、青、緑色の3匹の大きな鯉のぼり
   が吊るされ、来場者を歓待するように泳いでいる。 


    着々と準備の進む会場の廊下を歩き回っていた私の足元に、突然、ひとつの草履が飛
   んできた!
    草履が飛んできた方を見ると、朝の打合せ中に、「こっちにおいで!」と所在無く戸惑っ
   ている私を招きよせ、隣に座らせたメガネのおじさんだ。草履のない片方の脚をフラミン
   ゴのように上げて、数人と話をしている。
    幾つもの数珠を腕に、紺の作務衣を着けて、なぜかお坊さんの様な感じもするが、
   「坊さんもヤクザも同じやで。両方とも略したら“マルボウ”や。わはは」なんて、みんなが
   真剣に打ち合わせをしている最中でも、私の傍らでやたらと冗談を言う、飄々とした、ひょ
   うきんなおじさんだ。

   「どうぞ」と投げられた草履を、作務衣姿のおじさんの足元へ持って行くと、
   「ちょっとおいで」と、彼は不意に私の腕を取って、近くの長椅子に座らせた。
   「あの方たち、いいんですか?」と尋ねると、
   「いいの、いいの。気にしないで」と笑顔を浮かべる。

    私はおずおずと、しかし、ここぞとばかりに名刺を取り出し、
   「フリーライターの星海幸と申します。どうぞよろしくお願い致します。
   できれば、少しお話を伺いたいのですが、お名前は――?」
    隣のおじさんの顔を見つめ、返事を待った。
   「矢野都林」
    あ――!台本のパネリストの中にあった名前に違いない。都林(クニシゲ)という名前
   が難しくて印象に残っていたのだ。まさか、この方だったとは。
    くしくも、私を引き寄せていたおじさんは、島四国200周年記念行事の運営委員長であり、
   四国おやじの会会長、今回の仕掛人、その人であった。


    彼の了解を得た私は取材をはじめた。
    彼の話は、とてもおもしろい。ときどき、韻を踏んだような言い回しをしたり、トンチのよう
   なことを投げ掛けたりもする。その話の背後には、説得力があった。

    大島の魅力を尋ねると、意気揚々と彼は語った。
   「あの山も、この海も、白い砂浜もみーんな僕のものだよ。美しい大自然も、近所のおば
   ちゃんたち、島の人たち、みんなみんな愛おしい。この島にはね、決してお金で買えない
   空間があるんだよ」
    まるで子供のように無邪気に語る彼の笑顔から、彼ががこの島をこよなく愛しているの
   が、よく伝わってくる。郷土愛という言葉は、まさに彼のような人のためにある、そう感じ
   させられる。

    そして今度は、沈痛な面持ちで話し始めた。
   「都会の人たちはね、“一人が気楽”と自分の世界に閉じこもる。人とのつながりを切っ
   ていく。自分から周囲の人たちを切っていく。つまり自分から環境を切るんだよ。
    環境を切るから、その先、自分の未来も切れる。だから自分自身も切れる」
    まったくその通りかもしれない! 韻を踏みながら、いまの世の中を見事に解釈する彼
   の言葉に驚いた。
    この島で暮らす人から都会の人を見るとこう見えるのか。これは、美しい自然と人との
   つながり、決してお金で買えない空間を謳歌できる彼だからこそ提言できることなのかも
   しれないと感じた。

   「僕はね、この島に生まれて、ここに残った。
   みんな、仕事がないからと大阪や東京、都会に出て行く。けれど、僕は大好きなこの島
   にずーっと残っている。
    これはね、僕が選ばれた人だからなんだよ。僕は島の伝統文化を伝えるために残って
   いる、選ばれた人なんだ。
    海幸くんだって、選ばれた人なんだよ。誰かが選んで連れて来たから、ここに居るんで
   しょ?誰にも招かれなければ、わざわざ遠いところから、こんな辺鄙な島に今日、いないよ。
    その上、“縁”がある。
    僕が草履を投げたとき、海幸くんが“偶然”うしろを通りかかった。そして僕に草履を持っ
   て来てくれた。
    もし、海幸くんがその草履を無視して通り過ぎていたら、僕たちはいま、こうして話なん
   かしていなかっただろう。これも“縁”なんだよ」

    彼は、自分は選ばれた者だから、島の伝統文化を残さなければならない、と使命感と生
   命力に溢れていた。また、“縁”を非常に大切にしていることも強く感じられた。
    “偶然”と彼は言ったが、彼の背中には目がついていて、草履はタイミングを見計らって、
   意図的に私に投げかけた。そうすることで、話をするきっかけを彼は作ってくれたのでは
   ないだろうか。折りしも、“縁”を大事にしたいと強く思うようになっていた私は、自身の勝
   手な解釈による彼の行動を、内心、嬉しく思った。


    入口近くの長椅子に腰を掛け、次々と人が入ってくる様子を眺めながら、島四国開創200
   年記念の一環として、なぜ今回、『おやじサミットin四国』の開催を決めたのか、続けて彼は
   その経緯を答えてくれた。

   「島四国の八十八ヶ所のお堂のうち、お坊さんがいるのは4ヶ所なんだよ。あとは、みな
   地域の人たちが守り続けているんだよ。
    島民が200年守り続けてきた島四国、“お接待”の心。この心を僕らは、“守り伝える”
   必要がある。“守り”と言うのは、できることをすればいい。でも“伝える”というのが難し
   いんだよ。
    いま、世の中には、さまざまな問題があるね。おやじの会というのは、親が常に子供を
   想う気持ち、親が子供を守りたいという想いからできた会なんだ。
    僕は今回、200年続いて来た島四国の伝統と、脈々と続く親が子を想う“親子の絆”を
   いま、改めて“守り伝える”必要がある、と考えた。
    “守り伝える”という共通の見地から、『おやじサミットin四国』を開催することにしたんだよ」

    昨今、いじめ、不登校、自殺だけでなく、親が子を殺し、子が親を殺す、家族間の事件も
   少なくない。学校、職場、社会の人間関係が複雑化しているだけでなく、家族の絆、親子
   の絆さえ危うい時代になっている。
    それは、昨年、中学生がいじめを苦に自殺…という痛ましい事件が起こってしまったこ
   の大島も例外ではなかった。
    サミットの中で、中学生の遺書が全文読み上げられることを、台本に目を通した私は知っ
   ていた。
    遺書を読み上げるということは、ご遺族はもちろんのこと、島民みなが悲しみを想いか
   えすことになる。
    しかし、忘れたい悲しみを過去にするのではなく、辛い想いを乗り越えてでも、
   「今後どうすれば、このような悲劇を食い止めることが出来るのか?」
    子供たちの未来のために、大人たちが語り合う必要がある、と主催者たち、島人たちは
   考えたのだろう。
    加えて、この時代だからこそ、島四国という伝統と共に、改めて親子の絆を“守り伝え
   る”必要がある、と言う重要性を、彼をはじめ島の人は気づいていたのだ。


    彼に尋ねたいことは他にもあったが、開演のベルが響き渡ったため、私たちは慌てて会
   場に駆け込んだ。





 2.『おやじサミットin四国』

  (1) ミニ講演とドキュメンタリー短編映画

    2007年5月5日、午後4時、会場には波の音が響いていた。
    ピアノと三線に乗せて、ビギンの「島人の宝」を地元吉海町の男性が熱唱することから
   オープニングが始まった。
    会場には、子連れの家族をはじめ、子供たちの未来を考える父の姿、母の姿に混じって、
   白装束のお遍路さんの姿もあった。

    総合司会を務めるTBSアナウンサーの木村郁美氏の挨拶で、『おやじサミットin四国』が
   幕開けとなり、結成20年となる地元宮窪町の「能島水軍太鼓」が、近年では珍しい横打ち
   の見事なバチさばきで会場を圧巻する。
    賑々しい幕開けの後は、静かなピアノをBGMに、地元の小学生や主婦から寄せられた素朴
   な詩が、島人の声を届けようと、木村アナウンサーによって次々と朗読された。


    その後、ふたりのパネリストのミニ講演が行われた。
    講師は、愛知県岡崎市から駆けつけた、「やんちゃ和尚」で知られる浄土宗西居院住職、
   廣中邦充氏と、愛知県名古屋市から駆けつけた、有限会社塾教育学院代表、教育評論家の
   長田百合子氏である。

    廣中和尚の講演は、まず客席に着席している人々を起立させ、彼も客席に紛れ込み、席
   の両側で互いに肩を揉みあう、というユニークな指向で始まった。
    一緒に肩を揉みあいたかったのだが、残念ながら出遅れてしまった私は、その少し妙で
   見慣れない、ほのぼのとした光景を会場の端から眺めていた。なんだか、とても参加した
   い気持ちにさせられるから不思議だ。
    袈裟を着けた彼は壇上にとどまることはなく、会場内を縦横無尽に走り回り、その呼び
   名に違わぬやんちゃっぷりを発揮し、
   「子供は日本国から預かったもの。大切に育てて、社会に還元すること」
   「ボランティアの原点は“笑顔と挨拶”。みんな原点に戻れー!」と熱く語った。
    そんな彼の講演の最後は、全員総立ちで拳をあげ、
   「もっともっと子供たちに、声掛けをするぞー!!」「オォー!!」、
   「子供たちを守るぞー!!」「オォー!!」、
   「大島バンザーイ!!」「バンザーイ!!」
   と会場が一体となり、さまざまな誓いを叫びながら締めくくられた。

    爽やかなライム色のスーツに身を包んだ長田氏の講演は、歯切れの良い、きびきびとし
   た口調で姉御肌を感じさせる。
   「いまの大人は子供に好かれようとしている。そうではなく、子供に尊敬される大人にな
   りなさい!」、
   「大人は子供に、知恵と生きる力を持たせなければならない」、
   「子供は口でなく、空気で教育するもの」と力強く語った。
    また、「旦那、先生、人様を立てて、もっと楽をしなさい」と、彼女自身が妻であり母であ
   るからこそ可能な、女性らしい見解を示し、賢く生きる術を伝授していた。


    ミニ講演が終わると会場のライトが落とされ、ドキュメンタリー短編映画『風の歌が聴き
   たい…Ⅱ』が上映された。この作品は、大島出身である東京都在住の映画監督、小田大
   河氏が長期取材を敢行した、聴覚障害を持つ夫婦のドキュメンタリーである。
    耳の不自由な彼らは、音を必要としない海の中が大好きだ。そんな彼らに、耳の聞こえ
   る赤ちゃんが誕生する。家族三人で美しい海が広がるバハマを訪れ、そこで彼らが出逢っ
   た奇跡とは――……。
    厳しいハンディを背負っているにも関わらず、逞しく、前向きに生きている彼らをカメラが
   追っている。そこには、互いに助け合い、強い絆で結ばれている家族の模様が映し出さ
   れていた。
    上映後に壇上で、「生まれ故郷、この大島を舞台にした映画を作りたい」と述べる彼の
   作品に、会場から「感動で胸がいっぱいになった。思わず涙が頬を伝わった」という声も
   あがった。



    5分間の休憩に入ると、静まり返っていた会場は、自然とざわめき出した。
    島人の声をもっと聞いてみたい、と考えた私は、廊下ですれ違った地元の男性に尋ねた。
   「島の人にとって、島四国とはどんなものですか?」
   「僕らにとっては、“島四国=(イコール)お接待”だけど、島四国が身近にあることが、
   島の人々の安らぎであると思う」と彼は穏やかな表情で答えてくれた。
    彼の答えは、私には想像のつかないものであった。しかし、その答えは、非常に自然に
   感じた。深い信仰が息づく島に暮らす人ならではの答えは、お接待をはじめ、島人がこよ
   なく人を大切にすることができる所以を示している、と私は感じた。





 2.『おやじサミットin四国』

  (2) パネル・ディスカッション

    休憩を経て始まったパネル・ディスカッションでは、次の2つのテーマが掲げられた。

      テーマ①「いま子どもたちに何が起きているのか?」
 
      テーマ②「今後どうすればよいのか?」


    進行をTBSアナウンサー木村郁美氏、地元出身の映画監督小田大河氏が行い、パネリスト
   には次の4名が並んだ。
   ※紹介文は、木村アナウンサーが会場に紹介した際の文を、そのまま紹介させて頂く。
    (順不同敬称略)



    ≪パネリスト紹介≫

      ・廣中 邦充(ひろなか くにみつ)
           会社経営を経て、父の後を継ぎ住職となりました。
           10年前から家出や不登校などで非行に走り、親も投げ出している子供た
           ちを無償で自宅に預かり、更正させ真人間として社会へ送り出すという、
           命がけのボランティア活動に取り組んでいます。
           現在まで、600人以上の少年少女を更正させた実績をもつ。


      ・長田 百合子(おさだ ゆりこ)
           いじめや不登校、ひきこもりなどで悩む子供の家庭に自ら出向き、29年
           間で2000人を超える子供の問題を解決しています。
           また、親を対象とした「塾」や子供を預かる「寮」を開き、親の意識改革や
           子供の育成に情熱を燃やされています。


      ・竹花 豊(たけはな ゆたか)
           (「おやじ日本」会長 前東京都副知事)
           東京大学法学部卒業後、警察庁入庁。
           大分県警本部長、警視生活安全部長などを歴任。
           暴徒化した、広島の暴走族を壊滅に追い込み、商工ローンに係る悪質経
           済事犯を解決するなど、大きな功績をのこしました。
           平成15年、全国で初めて、警察官僚として東京都の副知事に就任。
           現在は「おやじ日本」を組織し、活動中。   


      ・矢野 都林(やの くにしげ)
           矢野さんは、地元・大島の観光協会長。
           今回の「島四国200年記念祭」を自ら企画、演出したパワフルでタフな、
           通称、大島のチョイ悪オヤジ。
           オヤジの会・四国支部長でもあります。



    パネル・ディスカッションで行われた実際のやりとりを、≪テーマ≫と≪各パネリスト
   の見解≫のQ&A形式で紹介したい。



    ≪テーマ①「いま子どもたちに何が起きているのか?」≫

      ≪各パネリストの見解≫

       ・親が子供の問題をどれだけ真剣に考えているのか。子供の問題は、親の問題で
        ある。子供のことを真剣に考えている人が減っているのではないのか。
       ・いま、若い人にどっしりと意見を言える大人が減っている。
       ・昔は“肩たたきをしたら10円”といった具合であったが、
        今は何もしなくても、ただお金を与えるだけになってしまった。
       ・いじめ、不登校といった問題は、いまや東京だけではなく、日本全国が抱えて
        いる問題。こういう状況を大人社会が作ってきた。
       ・子供がゲーム漬けとなり、かつてとは時代が違う。
       ・大人が大人のフリをできなくなってきている。子供の前で、親同士、先生、近
        所の悪口を言っているようではだめだ。

       パネリストたちは、親子の関係だけでなく、大人と子供の関係も含め、社会その
      ものが、時代と共に変わってきているという認識を持っているようだ。



    そして、地元今治市内で昨年いじめを苦に自殺した中学生の遺書、全文が読み上げられ
   た。行き場のない、もがき苦しんでいる子供が最後の最後にとる痛ましい手段を防ぐ方法
   はないのか。


     ≪いじめや自殺を防ぐ方法とは?≫

       ≪各パネリストの見解≫

        ・自殺した原因がうやむやなことが多い。
         中学生が苦しんでいるのをなぜ気付けなかったのか、その家族を検証するこ
         とが、今後このような悲劇を防止することにつながる。
        ・「人は何のために生きているのか?」、
         「助けられたら助けてあげる。助ける行為は助けられる行為」
         もっと道徳的なことに力を入れるべき。
        ・いじめはいろいろなケースがあり複雑である。いじめは、いじめる側も子供で
         あり、学校内で行われることが多い。いじめられている子は、迷惑を掛けたく
         ない、自分で解決できる、解決したい、と思う気持ちが強い。
         だから、誰にも相談できずにいる場合が多い。
         今日付の読売新聞に載っている長野県教育委員会の取り組みを参考にしてほ
         しい。



       自殺の問題は、子供だけに起こるものではない。大人にも起こりうることであり、
      現実に起きている。なかには原因がわからない場合もある。悩み、苦しみ、考え抜
      いた挙句、残った選択肢が「死ぬしかない」と至るまでの理由やその想いは、本人
      にしかわからないだろう。

       親は子供を愛している――。
       それは当然、子供に伝わっているし、子供もわかっている、と親は思っているし、
      世間もそう考える。
       しかし、果たしてその愛情が、本当に子供に、相手に、伝わっているのだろうか?

       自殺を食い止めるには、さまざまな見解や方法があると思うが、私は次の点を提
      唱したい。
       愛する我が子に、そして子供に向かってだけではなく、あなたが愛するすべての
      人に向かって、言葉に出して言って欲しい。

         「君は必要な人なんだよ」

         「君のことが大好きなんだ」

         「どんなことがあっても君の味方だ。何があっても必ず守ってみせる」

       日本人は、面と向かってこのようなことを口に出すのは恥ずかしいと思う人が大
      半だと思うが、古代日本で“言霊”が信じられていたように、言葉に出さないと伝
      わらないこともある。
       もちろん、それには行動も伴わなければならない。どんなに愛していても、行動
      で示すことはもとより、ときには愛情を言葉で表現する必要があると思う。
       これらの愛情のこもった言葉と行動で、日ごろからコミュニケーションを大切に
      するよう心掛ければ、信頼関係を築くことにつながる。
       万が一、愛する我が子の、または愛する人の身の上に、問題が起きても、共に泣
      き、悩み、一緒に考え、解決方法を探るんだ、という姿勢と強い信頼関係があれば、
      愛する人たちが問題を独りで抱え込むことは軽減されるのではないだろうか。 
       言葉は、ときには暴力となるが、あなたの愛情を、心を表現する大切な手段でも
      ある。
       だから、ときどき声に出して、あなたの愛情を伝えて欲しい。
       言葉で表現することで、互いの愛情、信頼関係を改めて確認してみてはいかがだ
      ろうか。




    ≪テーマ②「今後どうすればよいのか?」≫

        このテーマの際には客席から、自身の経験を通して子供への接し方を次のよ
       うに、力強く訴える女性の発言があった。
       「キャリアウーマンの私も夫も、ともに地位もお金もある。娘には何不自由なく
       お金や物を与えて来た。しかし、彼女は心を閉ざし、非行に走ってしまった。
        実は、娘はお金ではなく、心が欲しかった。お金じゃない、心が大切だと、私
       は子供を通してわかった。
        子供たちは、心を欲しがっているのです」
        よほど辛い想いを乗り越えてきたのか、涙ながらに彼女は語っていた。
        しかし、その姿は、今後どのように子供と向き合えばよいかを理解した、愛情
       と自信に満ち溢れた母親の姿であった。
      

      ≪各パネリストの見解≫

       ・周囲が幸せになれば、自分も幸せになれる。
       ・守るだけが子育てではない。子供にボランティアをさせ、地域で育てる。
       ・子供に見られてはいけないことはしない。大人は大人のフリをするべき。
       ・少しでもいいから、子供たちのために活動する。小さな力でも、それぞれがで
        きることをする。
       ・いままで大人は子供たちに、仕事に必要なもの、地域と接することを教えてこ
        なかった。大人として、仕事を通じて世の中を教えたい。
       ・先生も支えて、すべての子供が参加する場所をつくる。
       ・世の中が変わってきているから、いままでと違ったかたちで子供と接する。
        いまの子供たちは、情報の海の中で、わかりにくい時代を生きている。
        何が正しいのか、誰に聞けばいいのか、どんな大人になるべきか、わからなく
        なっている。だからこそ、子供に、大人としてメッセージを伝えることが大切。



    各所で活躍するパネリストたちを迎え、活発な意見交換がなされているパネル・ディス
   カッションが終盤に近づくころ、あっ――!と思うことがあった。
    4人のパネリストと2人の進行役が並ぶ中、あるふたりから、同じ“におい”が発せられ
   ている。ふたりは立場も職業も年齢も違う。当然、表現方法も違う。しかし、全身からま
   るでオーラのように、同じメッセージを発していることが浮き彫りになってきたのだ。
    ふたりが大切にしている原点は寸分と違わず、「あぁ、このふたりは、同じものを見つ
   めている」と強く感じた。
    見解を一言にまとめて述べるパネリストの矢野都林氏と、進行補助という立場で参加し
   ている小田大河氏であった。ふたりは、地元大島の出身者だ。それゆえに、ふたりは同じ
   ものを見つめることができるのか。


    年齢も境遇も違うふたり。
    ひとりは生まれ育った島を愛し、ずっとずっとこの島に居り、いまも暮らしている。
    ひとりは島を離れ、好きな映画を撮り、大都会の東京で暮らしている。


    島を離れた男性が言った。

   「僕は島を出た。島を捨てた人間だ。しかし、職業柄、『風の歌が聴きたい…』の主人公
   たちのような聴覚障害を持った人をはじめ、さまざまな人たちと出逢って、自分はこのま
   までいいのか――と思うようになった。
    そして、いま、生きていく上で、人との出逢いがほんとうに大事だと思うようになってい
   る。人の出逢いに目をふさぎ、耳をふさいではいけない。
    みんな、もっともっと素直になればいい。もっともっと素直に生きればいい」 

    出逢いに目をふさぎ、耳をふさぐな――。
    この言葉が、島に暮らし続ける男性から聞いた言葉と重なった。

   「都会の人たちはね、“一人が気楽”と自分の世界に閉じこもる。人とのつながりを切っ
   ていく。自分から周囲の人たちを切っていく。つまり自分から環境を切るんだよ。
    環境を切るから、その先、自分の未来も切れる。だから自分自身も切れる」


    いまの世の中は、暮らしにくい。本当に生きにくい。大人も子供も、みんな大変な想い
   をして生きている。情報は溢れ、価値観は多様化し、理解し難い事件、痛ましい事件が
   頻繁に起こり、「一体いまの世の中はどうなってるんだ?!」と誰しもが懸念を抱く時代に
   なってしまっている。安心して暮らせる社会ではなくなりつつある。
    仕事が忙しい、勉強がたいへん、生活するのが精一杯。みな余裕がなくなり、面倒がり、
   傷つくことを恐れ、複雑になった人との関わりを避けている。
    人は「諸刃の剣」だ。人が人を傷つけ、苦しめ、地獄に突き落とすこともある。また一
   方で、人が人を救い、安らぎや勇気を与え、幸せにすることもできる。つまり、自分自身
   を生かすも殺すも“ひと次第”である。
    必死になって生きているがゆえ、自分のことしか見えなくなっていたとしても、それは
   致し方ないことなのだろうか。心も身体も疲れ果て、ともすれば、自分自身、見失ってい
   ないだろうか。


    島人は、人とのつながりが大切だと知っているから、“お接待”を続けることができる
   のか。200年続くお接待があるから、“人とのつながりが大切”だと知っているのか。
    いずれにせよ、島人たちは、“人と関わる”という、人間として大切な原点を知っている。
    年齢も境遇も違うふたりの男性が共通するのは唯一、この島で、生まれ育ったこと。そ
   こには、豊かな自然と、見ず知らずの人を迎え入れ、奉仕する“お接待”の心が受け継が
   れている。


    「人のつながりを絶つな」

    「人と関わることが大切なんだ」


    いまの世の中が忘れかけている人間の原点、“人と関わる”ということを、島人が語り
   かけているのだった。


    「人とのつながりを大事にしなさい。縁を大切にしなさい」


    素朴なメッセージは、私の胸に深く、鮮烈に刻み込まれた。
    そして、どんな形にせよ、このメッセージを“いまを必死に生きる人たち”に伝えたい。
   伝えるべきだと強く思った。

    どうしたら、このメッセージを伝えられるだろうか、と考え始めていると、ディスカッ
   ションを締め括る言葉が耳に飛び込んだ。
   「大人が総掛かりで、意見の対立を乗り越えて、大人同士が一致団結して、子供に向
   き合うことが大切だ」
    まさに、そのその通りだと、私は大きく頷いた。





 2.『おやじサミットin四国』

  (3) エンディング

    3時間近く熱気に包まれたサミットの間、グレーのスーツに身を固めた3人の女性が、司
   会者、各パネリストの一言一句を終始手話で通訳していた。
    これは、『風の歌が聴きたい…Ⅱ』で上映されたような、耳の不自由な人も含め、みな
   で子供たちの未来について語り合いたい、という強い気持ちの現われ。と映画上映後、し
   ばらくしてから、意図の深さに気付いた。


    ピアノと三線が奏でる癒しの曲、新井満さんの「千の風になって」をBGMに、地元吉海
   町在住の81歳の男性から寄せられた手記が、エンディングとして木村アナウンサーによっ
   て朗読された。
   ※以下に原文をそのまま紹介させて頂く。
 

   ~ 81歳からのメッセージ ~


    「私は、この島の生まれではありません。
     戦後まもなく、大島に仕事でやって来て以来、この島を愛し、縁があって島の人と結
     婚し、ずっと島で暮らし続けた81歳の老人です。
     人生とは本当に短いものです。
     ついこの間のことのように思い出すのは、戦後まもない頃、みんな貧しかった頃の、
     この島の美しい姿です。
     特に桜の花が舞う頃、何千人もの島四国のお遍路さんたちが訪ねてきた時の島の
     賑わいや、情緒は決して忘れられません。

     瀬戸内の風景もさることながら、人々の心が本当に美しかった。
     みんな、お金は無くても、生きていく力がみなぎっていました。
     特に、この島で生まれ育った子供達の笑顔。
     あの笑顔に、あの元気に、どれだけ励まされたことか。
     あっという間に時代は変わりましたが、この土地で明日を生きていく皆様に、年老い
     た私が一言、言わせて頂きたいのは、子供達の笑顔だけは奪わないで欲しいという
     こと。
     どうか、子供達を悲しませないでください。
     子供達を、戦争に巻き込まないで下さい。

     どうか、子供たちに、もっともっと、夢や希望を語ってください。
     どんな時代でも、人生は楽しいものだ、美しいものだ、
     人間は尊いものだと、教えてあげてください。
     そして、差別や偏見や、いじめのない、この島の宝物をどうか大切にしてやって下さい。
     そのために、大人たちは議論するべきです。熱く語るべきです。

     大丈夫です。大丈夫。大丈夫。
     島四国のお遍路さんを200年も迎え入れてきた、暖かい、この島の人々なら大丈夫です。
     みなさんの勇気と笑顔が、私の誇りです。
     どうか、お願いします。」


    島の人々への切実な願いが込められた手記の朗読が終わると、白熱した『おやじサミッ
   トin四国』は、父、母、島人たち、それぞれの想いを胸に静かに幕を閉じた。 





【Ⅲ.星海幸の懐考 ~取材を終えて】

    午後4時から始まった『おやじサミットin四国』は、午後7時近くまで議論が展開され、
   予定していた時間が足りないほどであった。パネリスト達も、会場にいる男性も女性も、
   みな子供を真剣に想い、愛する親たちだ。

    休憩時間には、「まだ続くの? もっと聞いていたいけど、夕飯の支度があるから」と
   言って二人組の主婦が残念そうに会場を後にする場面もあった。
   「こんなに素晴らしい会なんだから、もっと多くの人に聞いてほしい」という意見もいく
   つか聞けた。
    会場の人々は真剣に聞き入り、愛する子供たちの幸せを願い、志を共にする人々と心
   をひとつにして、同じ時間を共有していた。



    この後、パネリスト達も含め、今日のもうひとつのメイン・イベント、『海響コンサート』が
   開催されるバラ園に全員が移動した。
    午後7時過ぎ。すっかり夕闇に包まれたバラ園には、開白萬灯会、一万個ものロウソク
   がほんのりと暖かな光を放っている。
    子供たちの未来を真剣に語ることから、緊迫した雰囲気であったおやじサミットとは打っ
   て変わって、バラ園では、互いの話し声も聞き取りづらいほど、太鼓や三味線の演奏が華々
   しく繰り広げられている。

    多くの人で賑わうバラ園会場で、作務衣姿の矢野さんとすれ違った。作務衣には白い花
   の記章が揺れていた。相変わらず突然私の腕を取り、「お疲れさまです」と笑顔で握手する。
   「きれいやろ」
   「はい、とても幻想的で素敵ですね」
   「雨、降らんかったやろ」
   「!そうですね」
   「だから、もたせると言うたやろ!」
    笑いながら、忙しく彼は人ごみに消えて行った。


    この日は朝から、「夕方から雨が降りそうだから、バラ園はどうしましょうか?」と雨を危惧
   してスタッフが頭を抱えていたほどの空模様であった。
    そんなとき、「大丈夫。雨はもたせる!」と言い切ったのが、相変わらず飄々としている矢
   野さんだった。
    多くの人が、「夕方から雨が降るだろう」、と確信に近い予測を抱いていたにもかかわらず、
   バラ園のコンサート開始の際は雨は降らなかったのだ。
    これは彼の、いや、各イベントを成功させたいと願う島人たちの執念なのか!と思わせる
   ような出来事であった。


    最後まで見届けたい『海響コンサート』ではあったが、慰労会の開かれる宮窪町の石文
   化交流館に、私は途中で場所を移すこととなった。
    私たちが石文化交流館に着くころには、堰を切ったように、ザーザーと雨が振り出し、
   時間とともに雨脚は強まった。その雨から逃げるように、しばらくするとスタッフ、パネリスト
   たちが、徐々に集まって来た。

    島で捕れた新鮮な魚の刺身や、名前は忘れてしまったが、冷めても絶品であった初めて
   口にする魚のから揚げ、炊き込みご飯がテーブルに並ぶ。慰労会で用意された食事はすべ
   て、島の女性たちが心を込めて作った手料理であった。
    次々とビールや酒の瓶が空になっていく慰労会は、みなほっとした様子で、ひとつの大
   イベントを成し遂げたという達成感と心地よい疲労感が漂っている。

   「無事に終わってほっとした」という安堵の声。「会場の声が聞こえない上、暑くて辛かっ
   た」と言う、照明を担当した若者の声。
    スタッフは、純朴で恥ずかしがり屋な人が多いように感じたが、慰労会では、彼らの素
   直な声がちらほらと聞けた。
   「島四国200年をきっかけに、またひとつの意識改革ができたと思う」という声や、「実は
   島四国をいつか世界遺産にしたいと思っている」と、力の入った声もあった。
    なかには、「みんなが共感することのできる数少ない人がパネリストに来て頂いている
   のに、会場を満員にできなかったのが残念で寂しい」、「宣伝をもっとすればよかった、
   もったいない」という、素晴らしいサミットであったにもかかわらず、会場を満員にできなかっ
   たことに対しての心残りの声も幾つかあった。

    和やかな雰囲気の中、いいあんべぇに酔っ払っているスタッフのひとりが、真っ赤な顔
   で私に尋ねた。
   「おやじサミットは、どうだった?」
    私は、パネル・ディスカッションの際に感じたこと、矢野さんと小田さん、大島出身のふた
   りを通じて、島人の心が少しみえた気がする、と答えるた。すると、なんだかとても嬉しそう
   に、
   「そうか。そうか。わかってくれたのかぁ。ありがとう」と、ほとんど酒の入っていない
   グラスを手に、何度も首を縦に振って見せた。



    祭りの後のように静けさが色濃くなってきた慰労会場を見渡し、ぬるくなったビールを
   口に含みながら、私は今日一日を回想した。

    島四国、さまざまな想いを抱いたお遍路さんを“お接待”する島人の姿と、子供たちの
   幸せを願う人々の取り組みを目の当たりにして、私の“伝えたい”という想いは、東京で
   話を聞いたとき以上に、より一層強まった。

    このサミットは、地元大島の人々の並々ならぬ努力。そして、フェリーに乗って、ある
   いは大橋を渡って駆けつけた人々の協力がなければ成しえなかった。背景には、子供
   たちを愛する心、人をもてなすお接待の心があったことは言うまでもない。まさに、しまな
   み海道がつなぐ強い絆であった。



    出演者をはじめ、スタッフのみなさん、地元大島、今治のみなさん、本当にお疲れさま
   でした。みなさんの想いは、しっかりと伝わっています。


    大島に、ほんとうに来てよかった。

    みなさんに出逢えて、ほんとうによかった。

    ありがとう。

    必ずまた行きます。

    どうか変わることない、人を思いやる心、お接待の心を守り伝えてください。



                                        2007年初夏 星海幸






~ おわりに ~

    ここで少し後日談を紹介させて頂きます。


    本文の通り、おやじサミットが開催された日の大島は、灰色の雲が朝からどんよりと重
   く伸し掛かっていました。夕方には雨が降りだすだろう、と誰しもが思っていたほどの空
   模様です。しかし、夜7時過ぎ、バラ園の『海響コンサート』が始まっても、雨は奇跡的に
   降っていませんでした。
    私はコンサート途中で抜け、慰労会場に向かいました。会場に着くころには、待ってい
   た、と言わんばかりに、激しい雨が降り始めました。
    コンサート終了後に集まって来たスタッフたちが、とくに雨のことを語らないので、コン
   サート終了まで、無事、雨が降らなかったのだろう、と想像していました。

    しかし、この原稿を書き進めるうちに、コンサートが終わるまで、本当に雨が降らなかっ
   たのだろうか? 正確には、いつごろ雨が降り出したのか?
    そんな他愛もないことが、何故かとても気になり始め、思い余って、大島に暮らす矢野
   さんに、思い切って電話で尋ねてみました。

    「あの日、いつごろ雨が降り出したか、覚えていますか?」


    「よぉ覚えとるでぇ。
     コンサート終盤。ちょうど、満濃太鼓の演奏中や。
     満濃太鼓は、雨乞いの太鼓なんや。その雨乞い太鼓の演奏中に、ふぁーっと霧雨が
     降ってきた!
     どうや、ドラマティックやろ?!

     僕はね、2年近く掛けてこのイベントを準備してきた。前日もお参りに行った。
     そして、神様は、ちゃーんと願いを叶えてくれた。
     あの日は朝から曇り空で、夕方には雨が降るとみんな思ってた。
     けど、神様が雨をもたせてくれたんや。

     これは、島四国、島の伝統を“守り伝える”ことをずーっと続けてきた僕や、島の人々
     への神様からのご褒美なんや!
     信じる信じないは自由やけど、僕はそう思ってる」


    ・・・なんと不思議な島なんだろう。
    この話に、私はとても驚きました。


    200年もの歴史があり、さまざまな想いを秘めたお遍路さんが集う島。
    奄美と沖縄には、まだ“神様がいる”と感じさせるものがあったが、この島も、きっと
   そうなんだ。
    初めて訪れ、たった一日滞在しただけの大島で、垣間見た人々の想い。
    そこには、島の不思議な力と縁を感じずにはいられません。

       愛媛の大島も、特別な島なのかもしれない・・・。

       やっぱり、大島にもう一度ゆっくり行かなきゃ。

    私は、原稿を書き上げても、そんな想いに駆り立てられています。



    最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
    少しでも、大島のよさ、島の人々の心、そして、子供たちの未来を真剣に考える人々の
   熱い想いが伝わると嬉しいです。

    そして、みなさんもぜひ、大島を訪れ、ご自身の目で、肌で大島を感じてみてはいかが
   でしょうか。



                                               星海幸







==== お し ら せ ==============================================================

      この夏、この大島で、“親子で過ごす時間を作ろう”という趣旨の企画が
     検討されています。
      詳細はまだ決まっていないそうですが、1泊2日ほど、親子で、島四国の一
     部を歩いたり、地引網を引いたり、夜はキャンプファイヤーを囲むなど、親
     子が同じものを食べ、同じ経験をし、同じ時間を共有することを目的として
     いるそうです。

      ご興味のある方は、下記まで直接お問い合わせ下さい。


        大会名称(仮称)
         『親子で歩こう島四国』

           開催予定日:8月第3週の土曜~日曜


            ・事務局:中川さん
               今治模型社 TEL:0898-22-5655
                     (受付:午前11~午後7時/水曜定休)

            ・矢野 都林(くにしげ)さん
               ケータイ:090-7572-4956


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